事例詳細

調査・質問内容

ハイキングで案内したいので、茨木市の国見峠について知りたい。

図書館からの回答

公開日 2021/03/19

『わがまち茨木 地名編』(茨木市/編 茨木市 1988)P56-57
国見の項 大岩の南西部の集落が国見であり、その南方の高い山が国見峠といわれている旨が書かれている。また、国見の名前由来や簡単な歴史が書かれている。

『茨木の史跡』(茨木市教育委員会/編 茨木市教育委員会 1998)P91
清坂街道の項 浄瑠璃「おさん、茂平」の話が簡単に書かれている。2人は国見峠で心中した。かつては峠の頂上に道標をかねた題目塔が建てられていたが、今は山手台の公園内に移されている。
妙見街道の項 「国見峠を下って国見の集落地区に1基の常夜灯がある」との記載がある。

『わたしのあしのあと 西国街道見て歩き 他』(梶川 孝/著 コミュニティ企画 1994)P105-108
おさん・茂平の話を中心に、国見峠の歴史が掲載されている。

『ふるさと茨木探検ガイド』(ふるさと茨木連帯/編著 かんぽう 2003)P121
おさんと茂平の恋道中とその題目碑について書かれている。また、題目碑のカラー写真も掲載されている。

『史跡 ぶらりみてある記』(茨木市市長公室広報公聴課/編 茨木市 1988)P17
おさん茂平恋道中碑の項 おさん茂平についての民話を中心に、碑へのアクセス方法なども書かれている。

『新修茨木市史 第8巻 史料編 地理』(茨木市史編さん委員会/編 茨木市 2004)P265
国見峠については言及されていないが、明治期までの国見の集落の様子や、亀岡街道や清坂街道など周辺街道についての簡単な説明がある。

『茨木市北部ハイキングマップ 2019年12月版 モデルコース』(茨木市観光協会/編 茨木市観光協会 2019)
キリシタンコースに、おさん茂平恋道中碑が入っており、碑と並んで初田1・2号墳がある。

『茨木市生涯学習だより まなびどり vol.39』(茨木市教育委員会社会教育課  2009.8・9・10・11月号)P7
茨木紀行の頁に、国見峠緑地~山手台中央公園の記事がある。
国見峠には、明治中頃まで亀岡街道が通っていたこと、現在がこの旧街道が清坂街道と呼ばれていることや、国見峠緑地に藤棚があることが書かれている。また、緑地から徒歩10分程のところに山手台中央公園があり、ここに、おさん茂平恋道中碑や、初田1・2号古墳、長ヶ淵1号墳も移築されたことが書かれている。

『新修茨木市史 第7巻 史料編 考古』(茨木市史編さん委員会/編 茨木市 2014)P298-307 P420-424
P298-307 長ヶ淵(おさがぶち)古墳の発掘の調査報告。
P420-424 初田(はつた)1号・2号古墳の発掘の調査報告。
長ヶ淵古墳は安威四丁目から、初田古墳は山手台二丁目、桑原から発見された。

『大阪府全志 3』(井上 正雄/著 清文堂出版 1985) P862
大字大岩の項に、国見山からの眺望について書かれているが、この国見山は大岩の国見峠ではなく、福井の国見山である可能性が高い。(『日本歴史地名体系28-1大阪府の地名1』P197の福井村の項に「国見山」について詳しく書かれている。)


「観光マップ(茨木市観光協会公式ウェブサイト)」
https://www.kira.city.ibaraki.osaka.jp/manabidori/no39/index.htm
「茨木市北部自然歩道ハイキングマップ モデルコース」のPDFがダウンロードできる。(2020年10月確認)

「茨木市生涯学習センターきらめき 「まなびどりバックナンバー」 39号もくじ」
https://www.kira.city.ibaraki.osaka.jp/manabidori/no39/html/07-08.htm
茨木紀行「国見峠緑地~山手台中央公園」の記事が掲載されている。(2020年10月確認)

参考文献

タイトル 注記
わがまち茨木 地名編 P56-57
茨木の史跡 平成10年 P91
わたしのあしのあと P105-108
ふるさと茨木探検ガイド P121
史跡 ぶらりみてある記 P17
新修茨木市史 第8巻 史料編 地理 P265
茨木市北部ハイキングマップ 2019年12月版
新修茨木市史 第7巻 史料編 考古 P298-307 P420-424
大阪府全志 3 P862

参考URL

タイトル 注記
観光マップ(茨木市観光協会公式ウェブサイト) (2020年10月確認)
茨木市生涯学習センターきらめき 「まなびどりバックナンバー」 39号もくじ https://www.kira.city.ibaraki.osaka.jp/manabidori/no39/html/07-08.htm

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